New Buddy ・・・ Rover Mini Cooper 1.3i 1995

2022年6月9日(木) 新たな相棒がやってきました。約1年半前に、息子が出入りしている木津川市のMINI専門のオートサービスのお店で出会いました。

出会った時はこんな感じでした。ガレージで倉庫化していました。レストアして乗りませんか?というオファーがあり、人生最後はクラシックミニだろうなと思っていた小生には心にささるお誘いでした。今の相棒AUDI TTの次回車検1年3か月後を目標に造り上げてもらいましょう・・・ということでレストアがスタートしたのであります。

ベース車両は、1995 Rover Mini Cooper 1.3i です。カラーはいろいろと迷いましたが、初期モデルMK1で設定されていた「ツイードグレー」に決めました。50年以上前の色なのでカラーデータなど無く、画像検索で探したツイードグレーの画像を何枚もプリントアウトし、板金屋さんに色だししてもらいました。本当に満足の出来る色に仕上げて下さいました。流石プロであります。


ルーフはオールドイングリッシュホワイトです。ツイードグレーとのコントラストが気に入っています。しっとりとお洒落に仕上がりました。

7Jのオーバーフェンダーに10インチ6.5Jのホイールです。ホイールはハヤシレーシング製です。50年前、フェアレディZ時代、欲しくて欲しくてたまらなかったホイールであります。高すぎて手が出ませんでした。50年経っても健在、いいものは長く生き続けるのであります。50年後に手に入れることができました。感激です。
クラシックミニファンには2種類のタイプがあります。ひとつは1959年から1970年代のMK1~MK3というピュアレトロ志向の方々であります。オーバーフェンダーはせずホイールタイヤは細く、インテリアはセンターメーターになります。オーバーフェンダーをしたとしてもとても控えめなものになります。アルミホイールも4.5Jくらいの8スポークです。とても知性的なピュアブリティッシュ志向のMINIに仕上げられます。当家の長女ファミリーのMINIがそうであります。


それに対し、私のMINIはごっついオーバーフェンダー、ぶっといホイールそしてタイヤを装着した「カフェレーサー」系MINIであります。いわゆる「やんちゃMINI」なのであります。レトロな風情に拘りつつ、やんちゃなテイストもぶち込みました。決して知性的とは言えない私にピッタリのMINIだと思っています。

モトリタのステアリング、ALEC&COのシフトノブ、レカロのシート、MINI HOLIC オリジナルプリントの内張・・・・等々、カフェっぽく仕上がりました。世界にひとつのMINIであります。

70歳になりましたので、シルバーマークを着けました。ちょっとお洒落なのを探しました。(効果のほどは不明ですが???)

妻もとても気に入っております。アウディTTには興味を抱かなかった妻でありますが、ローバーミニは大好きであります。9年乗った前々相棒のR50パークレーンブリティッシュレーシンググリーンからアウディに乗り換えたときはとても寂しい顔をしていました。今回はとても嬉しそうであります。人生最後の相棒・・・・211馬力から62馬力への乗り換え・・・最高時速100kmの世界を楽しみたいと思います。
Grandpa di Itosugi
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VISIT ITALY photo album

イタリア政府観光局が数年前からアリタリア航空で日本からイタリアを訪れたツーリストに対し、写真を公募しフォトコンテストを行っています。関空便は今は非運行でありイタリアもルフトやKLMを使いトランスファーで入る事が多く応募したくても出来なかったのですが、2018年の晩秋に関東在住の友人夫婦と成田で落ち合いアリタリアでイタリア入りをしました。南イタリアの村巡りを楽しんだのでありますが、その時の写真を3枚応募したのであります。1000枚以上の作品の中で約30作品が優秀賞に選出されます。残念ながら選には漏れたのであります。
ところがイタリアを介したフォトコン優秀賞常連のメル友のご夫婦からメールが入り、「木下さんの写真が冊子に掲載されてますよ!」・・・・とのこと、イタリア大使館に確認されては?というアドバイス・・・問い合わせてみると確かに掲載されており・・・すぐに送りますということでありました。ワオッ!!!嬉しいかぎりであります。2018年2019年の2年間で応募された2000作品以上の中から64作品の優秀賞写真とその他9作品が掲載された20州紹介のフォトアルバムでありました。イタリアに人生をささげているじじいとしては嬉しい出来事でありました。


前イタリア大使夫人の提案でスタートしたフォトコンテストです。

ロンバルディア州のページにはメル友ご主人の優秀賞写真が・・・・


カラブリア州のページに私の写真が・・・・・優秀賞ではないので「応募作品」・・・となっています。
でも2000枚近い選漏れ写真の中から選ばれた9枚・・・・・これはこれでイケてるのでは・・・・と思うのです。(^^)/
イタリア半島のつま先カラブリア州、その中でも最も美しい村・・・・「モラーノ・カーラブロ」・・・イタリアの最も美しい村協会加盟村です。

おそらく、カラブリア州に足を踏み入れる日本人ツーリストは極めて少なく、応募写真もほとんど無かったのだと思います。かといってカラブリアを飛ばすわけにもゆかず、選んでいただけたのでありましょう!!!それでも嬉しい嬉しい Grandpa di Itosugi なのであります。
Turchia della fine di autunno Ⅶ

12月4日(水)
雨のイスタンブールです。

水道橋

スレイマニエモスクに入ります。


大理石の中庭はスリッピーなのです。

オスマン帝国の第10代君主スレイマン1世の命により建立、1557年に完成しました。オスマン建築の最高傑作のひとつであります。
丘の上に建つスレイマニエモスクはどこからでも見えます。圧倒的な存在感を持つ美しい建造物であります。ブルーモスク・アヤソフィア・スレイマニエモスク 3大ランドマーク見学達成しました。


シンメトリーの美しいイスラム建築です。


大学の門も風格があります。

グランドバザールへ

いろいろとゲットしました。

アーチが美しいグランドバザールです。


最後のランチも「魚」でした・・・・・( 一一) 魚多すぎです。!!!

食事の後はトプカプ宮殿です。


15世紀から19世紀までオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。トプカプ=大砲の門の意味。
3方をマルマラ海・ボスポラス海峡・金角湾に囲まれた場所にあります。


イズニックタイルが多用された美しい宮殿です。

スレイマニエモスクも見えます。


スプーンダイアモンド
イスタンブールの海岸で漁師が光る石を拾います。宝石商に持ち込みますが、ガラス玉だと言われ3本のスプーンと交換しました。その後インド・フランスを巡りイスタンブールに戻ってくるのです。伝説のダイアモンドであります。86カラットのダイヤの周りを49個のダイヤが囲んでいます。

トプカプの短剣


タクスィム広場周辺で時間調整をしました。
スターバックスでご当地マグカップをゲットしました。

8日間お付き合いいただいたガイドのヌルハンさんともお別れです。
奥様が香川出身で日本語も堪能、その他数か国語を使う方であります。丘上中世集落が大好きなヌルハンさんであり、私との共通点がとても多い方であったのです。
32年間ガイドをしているが、あなたのような、欧州の小さな村にくわしく実際に訪れている人に初めて会ったと言ってくださいました。光栄に思いました。
日本でお会いできればと思います。
21:45発 KE956便でソウルへ 偏西風に乗り9時間のフライトです。ドリエルのおかげで6時間熟睡しました。
12月5日(木)15:10発 KE725便で関空へ 17:00無事到着しました。

総走行距離 2500km 大周遊の旅となりました。私のすってんころりん以外は全てがスムーズに運びました。
お天気は8割がた満足出来ました。何十年も前から憧れていたカッパドキア・・・・一生忘れ得ぬ絶景となりました。
いい旅でした。

今回の旅の戦利品です。今いるガラクタ達と仲良くしてくれることと思います。Grandpa e Granma di Itosugi
Turchia della fine di autunno Ⅵ

12月3日(火)
アンカラ近郊の夜明けです。朝焼けに映し出されたモスクが幻想的です。

何を隠そう、サンライズ&サンセットハンターの Grandpa di Itosugi なのであります。

美しく澄んだ空気の中をイスタンブールに向かいます。


欧州自動車道路89号線から80号線へ




トルコの黄葉です。

マルマラ海に出ました。


第2ボスポラス橋が見えてきました。
アジアからヨーロッパへ

ボスポラス海峡を渡ります。


イスタンブールの丘は家々で埋め尽くされています。

アンカラから450km 大移動も終わりました。
イスタンブール・・・・・
人口 1500万人 (東京23区964万人、大阪市269万人) 東京都総人口が1394万人ですので超巨大都市であることが解ります。世界で唯一ヨーロッパとアジアにまたがる都市。
東ローマ帝国・オスマン帝国時代は コンスタンティノープルと呼称 1930年に正式名イスタンブールに ギリシャ語で「町へ」を意味する「イス・ティン・ポリン」に由来。
イスタンブール在住大卒30代サラリーマン平均月収50000円~80000円(1TL=19円)
物価 ミネラルW(1.5l)2TL,コカコーラ(500ml)4TL,リンゴ(1kg)10TL,ジャガイモ(2kg)5TL、牛肉(1kg)40TL,鶏肉(1kg)30TL,、LG49型液晶TV 4100TL、地下鉄・トラム・市営バス(1回)2.6TL,ガソリン(1l)6TL,・・・・・基本食材・交通関連は安くその他は日本とそう変わらないといった感じです。自動車は排気量によっては100%以上の税金をかけられとても高額と言えます。また職業格差も日本より大きな国であります。




ランチは中華です。嬉しいです。(^_-)-☆

旧市街へ

ブルーモスク(スルタンアフメト・ジャーミー)


礼拝時以外は異教徒観光客の入館も許されています。女性はスカーフで髪を隠します。


壁にはブルーのイズニックタイルが施されています。ブルーモスクの所以です。




この写真では見えませんが、ブルーモスクにはミナレットが6本有ります。アヤソフィアを上回る建物にしたかったそうです。スルタンは「黄金の」モスクを建てろと言ったのだそうですが、「黄金の」と「6本の」が似ているそうで、建築家はミナレット6本のモスクを作りました。そのころ6本のミナレットを有するのは総本山メッカのモスクだけでした。スルタンは慌てました。・・・・と言われていますが、たぶん「聞き違えは」スルタンの言訳だと思います。スルタンの許可なく6本ミナレットモスクが建設されるはずもありません。スルタンは確信犯だったと思います。スルタンはメッカに2本のミナレットを寄贈したそうです。

アヤソフィア となりでトルコ人らしき少女がこんなポーズで写真を撮っていましたので真似てみました。ポーズをとるのは中国人だけではないのですね。


ブルーモスク・アヤソフィア・トプカプ宮殿等イスタンブール歴史地区は1985年に世界文化遺産に登録されました。
アヤソフィアはその中でも最重要建造物であります。過去2回仕事でイスタンブールを訪問した際にアヤソフィアも訪れました。しかし、仕事で心は重たく見学を楽しめたという記憶が有りません。今回は心行くまで楽しみました。

東ローマ帝国時代、6世紀ごろに初期建立が成されました。ギリシャ正教会の大聖堂として権威を誇っていました。オスマン帝国の支配下になりモスクになりました。美しいモザイクは塗りつぶされました。1934年アタテュルクの命で漆喰が取り払われ美しいモザイクが姿を現しました。カーペットも取り払われ「博物館」として一般に公開されました。現政権下でイスラム色が強くなる中 モスク化の動きが有るようです。モザイクが塗りつぶされるかも知れないと言われています。


アヤソフィア=聖なる叡智


港のサバサンド屋さん 食ってみたかった!!!

ボスポラス海峡クルーズ

スレイマニエモスクとカモメ





約小一時間の貸切クルーズです。お天気はいまいちで寒いです。


スレイマニエモスク・・・・美しいモスクです。

ガラタ橋・・・上は仕事しないで一日中釣りをしているオッサン達、下はサバサンド屋さん


お泊りは ヒルトン・ボスポラス です。 高級ホテルです。(^_-)-☆

11人がオプションでベリーダンスディナーへ 2人はお買物 3人でうどんを頂きました。


とっても美味でした。
イスタンブールの夜はうどんと共に暮れてゆきました。( 一一)
Turchia della fine di autunno Ⅴ

12月2日(月)
カッパドキア ホテルの裏の坂を登り切ったらこんな風景に出会いました。


お天気も回復し、いい風景が待っていそうです。


ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群・・・・・1985年に世界複合遺産に登録されました。カッパドキアは「美しい馬の地」を意味するペルシャ語に由来します。
火山爆発による大地の形成~雨による浸食~岩石硬度の差が生んだ奇異な形状・・・・奇跡が積み重なり出来た「きのこ岩=妖精の煙突」・・・世界でもここにしかない絶景であります。グランドキャニオン、モニュメントバレー、ル・ピュイ=アン=ヴレ、チヴィタ・ディ・バーニョレージョ、奇岩絶景は色々ありますが、ここの妖精たちは別物であります。


らくだ岩






聖母マリア


ゼルベの谷を目指します。

「ゼルベの谷」です。
カッパドキアの中でも、きのこ岩が最も多く連立する谷であります。地球に居ることを忘れてしまいそうになります。



妖精の煙突と表現されるきのこ岩・・・・空想の世界に引き込まれてしまいます。



何十年も前から一度は見てみたかったカッパドキア。やっと来ることが出来ました。
青空とは行きませんでしたが雨は上がり幸せな1日となりました。
妖精さん・・・ティッシュくれや!・・・・いや「テシェッキュルエデリム(アリガトウ)」




宇宙から来た巨人に見下ろされているような感覚になりました。

絶景 ゼルベの谷 です。


妻も感動しています。

ゼルベの谷を後にし 絨毯屋さんへ


熱心に説明するスタッフ・・・チャイをご馳走になりました。


ビューポイント 三姉妹 です。

最後は「ギョレメ野外博物館」です。

岩窟教会、聖堂、修道院が多く残るエリアです。
カッパドキアでは4世紀ころから多くのキリスト教徒が住むようになりましたが、9世紀ごろから始まったイスラム教徒の圧迫から逃れるために岩を掘り施設を作ったと言われています。一帯には400以上の教会が有ったそうです。




数多くのフレスコ画が残っています。(この洞窟以外は撮影不可)


バベルの塔のようです。



トロイの木馬も居ました。


ウチヒサルは角度により顔が変わります。本当にジブリの世界です。

ランチはギョレメの町で頂きました。
ギョレメ・カヤ・ホテル レストラン



絶景レストランです。カッパドキア最後のランチに相応しいレストランでした。

きのこ岩の中に佇むホテルです。



カッパドキアともお別れです。
「妖精に感謝感謝です。」


もしまた来ることが有るならば、ぜひこのアングルで見てみたいものです。

ネヴシェヒルに戻ります。マテーラのような洞窟住居が見えます。


コンヤから来た道路をコンヤ方向に一度戻ります。往路は曇り空でしたが、復路は晴天、とても美しい高原風景が続きます。



うっとりとしながら風景を見つめる Grandpa di Itosugi であります。妻は寝ています。


雲の上にハッサン山が見えます。

アクサライで右折、進路を北西にとります。



トゥズ湖(塩湖)を通過



走ること310km 首都アンカラに到着です。


ホテル ラディソンBLU からの夜景
とてもとても有意義な1日でありました。